野木町マップ

野木神社の公孫樹

町指定天然記念物

野木神社の境内にある大イチョウは樹齢が約1200年、高さ約17m、太さ約9mで「とちぎの名木百選」に選ばれている。また、出産した女性の母乳がよく出て乳児が健康に育つよう祈り願う民間信仰がある。

野木神社の黒馬繋馬図絵馬こくばけいばずえま

県指定文化財

古くから神社に馬が奉納されてきたのが、後に板に馬を描いたものを奉納したのがはじまりとされる「絵馬」。野木神社に奉納されている黒い馬が描かれた絵馬は、江戸時代後期に活躍した画家・谷文晁(たにぶんちょう)が描いている。

太々神楽だいだいかぐら(五行の舞)

町指定無形文化財

野木神社に江戸時代中期から伝わる12座の太々神楽の一つ。一時期消滅していたが、平成11(1999)年、小山市の太々神楽を参考に復活した。舞うのは地元の小学生の女の子たちで、毎年4月と12月に奉納される。

提灯もみ

毎年12月3日の夜、竹竿に取り付けた提灯をぶつけ合う野木神社のお祭り。約800年前、神社の宮司らが7つの領地へ御神霊を持って巡った「七郷巡り」が起源。このお祭りが終わると、野木に本格的な冬が訪れる。

渡良瀬遊水地

栃木・群馬・埼玉・茨城の4県にまたがる日本最大の遊水地。足尾銅山から流れ出た鉱毒の無害化と洪水対策のために造られ、昭和5(1930)年に完成した。平成24(2012)年、ラムサール条約湿地に登録された。

熊野神社

紀州(和歌山県)熊野の川島対馬(かわしまつしま)が約1300年前に建立したとされる神社。川島対馬は生まれ故郷の者たちとともにこの地に住み着いたといわれる。氏神としてイザナギノミコトが祀られている。

野渡のささら獅子舞

熊野神社の祭礼である「ささら獅子舞」は、約500年前の古河公方足利成氏の頃、魔よけや豊作祈願のためはじまったとされる。棒の演者と獅子の踊り子が全て子供で、毎年4月上旬に行なわれる春季大祭で奉納される。

猪苗代兼載いなわしろけんさいの墓

町指定文化財

室町時代、会津に生まれた猪苗代兼載は、京都で連歌師宗祇の弟子となった後、その実力が高く評価され、連歌師の最高峰「北野連歌会所奉行」に就任した。治療のために滞在中の古河で亡くなった後、満福寺に葬られた。

満福寺の板碑

町指定文化財

満福寺の境内にある供養塔。鎌倉時代の正元元(1259)年に立てられた県内最古の板碑とみられている。高さは129㎝で野木町周辺では最大級。板碑には、「種子」と呼ばれる梵字と蓮の形をした蓮座が彫られている。

古河公方足利成氏の墓

町指定文化財

関東における戦国時代の幕を開ける役割を担った足利成氏は、宝徳元(1449)年に第5代鎌倉公方となるが、その後戦いに敗れて古河に逃れ、初代古河公方となった。死後、成氏が建立したとされる満福寺に葬られた。

旧下野煉化製造会社煉瓦窯

国指定重要文化財

明治23(1890)年から昭和46(1971)年まで動いていたホフマン式の煉瓦窯。1回で約22万本の赤煉瓦をつくることができた。建造物として価値が高く、昭和54(1979)年には国の重要文化財に指定された。

新井家ふるさと記念館

国登録有形文化財:旧新井製糸所

旧新井製糸所は明治12年(1879)に創業。煉瓦造りの蔵は、近くの旧下野煉化製造会社でつくられた煉瓦を職人が煉瓦積みの練習で積ませて造られた。また養蚕棟にも使われ、この地域の近代化を物語っている。

大塚古墳

県指定史跡

今から約1500年前の古墳時代の方墳(四角状のお墓)といわれ、この地では珍しい古墳の形をしている。一辺が約23m、高さ3.5m、周辺は竹林に囲まれていて、古墳の上には稲荷神社が祀られている。

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