明治時代
古河県から栃木県へ
慶応3(1867)年、15代将軍徳川慶喜は征夷大将軍の職を辞め、政権を朝廷に返上しました(大政奉還)。その年に王政復古の大号令が発せられ、新政府の樹立が宣言されました。しかし旧幕府側と新政府側との争いは続き、野木地域を含む古河藩領内も影響を受けました。
明治2(1869)年に古河藩は古河県となり、野木地域は明治5(1872)年に古河県から栃木県へと移りました。様々な制度が新しくなる中、明治6(1873)年に政府が行った全国の土地を再点検した上で土地の価格を決め、その価格から毎年納める税金を決めた改革(地租改正)は、野木地域にも大きな影響を与えました。
その後、町村制という法律が明治21(1888)年に公布され、野木地域の10の村が合併し、現在の野木町のもととなる「下都賀郡野木村」が誕生し、最初の役場は法音寺境内に置かれました。それまでの村々の名前は、現在でも大字名として残されています。
法音寺